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オリンピックの無観客を即刻撤回、有観客へ転換すべき

令和3年7月13日

社会資本研究所

南 洋史郎

無観客判断は人として許されない差別的な国際的な問題に発展する

7月8日にバッハ会長、東京都知事、オリパラ委員長、オリンピック担当大臣の4者会談で、東京や神奈川、埼玉、千葉の1都3県と北海道と福島におけるコロナ対策でのオリンピックの無観客の判断がなされた。さらに菅首相は、オリンピックの主催都市の東京へわざわざオリンピック期間中の7月12日から8月22日まで、予防的処置として、4回目の緊急事態宣言を発出された。

東京都内の野球やサッカー、相撲は、人数制限はあるが、すでに多くの観客が入り、連日プレーを楽しんでいる。オリンピックも当然ながら、制限を設け、観客を入れると思われていた。この無観客の判断は、想定外であり、コロナと言っても、海外からみると、感染者が少ない日本でなぜオリンピックだけ無観客の判断になるのか、理解できないのである。要は今の日本のコロナ対策の状況から判断して、外国人に論理的に説明できない全く間違った決断なのではないかと考えている。

なにしろ、外国人から見ると、日本では、野球やサッカーは有観客で試合が見られるのに、海外から来日するオリンピック出場のアスリートは、なぜ選手にとって、やる気を喪失させ、不快で不愉快な無観客の中で、プレーをしなければいけないのか、その理由がわからないのである。もし、外国人からその理由を教えて欲しいと聞かれても、相手が納得できる説明ができないのである。

来日する外国のアスリートや関係者は全員PCR検査を受け、OEL(Overseas Entrants Locators=入国者位置情報)アプリで入国後の行動も追跡できるようになっている。さらにワクチン接種も受けている。
オリンピックを観戦する予定の日本人もPCR検査や場合によってはワクチン接種証明も検討していたので、野球やサッカーの観戦よりはるかに厳しく、逆に言えば安全である。つまり、無観客にする理由が全く無いのである。

従って、外国のマスコミ関係者から、万一でも、一面の見出しで「日本人は、オリンピックで露骨に外国人差別をする国」、あるいは「オリンピック招致で”おもてなし”(Hospitality)を約束した日本は、実はコロナ対策で外国人のアスリートには、無観客という差別的な待遇で”敵愾心”(Hostility)を示す差別国家だった」などと書き立てられても、反論できず、日本人としても、許せない、憤慨すべき、屈辱的な話なのである。

今回の日本が行っているオリピック対策が、いかに異常なものか、逆で考えてみたら、理解してもらえるのではないだろうか。日本のアスリートが、ある国のオリンピックに参加するため、渡航したところ、PCR検査は陰性、ワクチンまで摂取しているのに、ホテルに隔離状態で、スタジアムとの往復だけ強いられ、開会式の行進に参加したら、観客は誰もいない。ところが、直ぐ近くの野球場やサッカー場の前を通ったら、皆が大歓声を上げて、スポーツを楽しんでいる。

自然の感情として、「この国は、俺たち、日本人や外国のアスリートだけ差別するのか!なんていう国だ!ふざけるな!」と思わないだろうか。しかも、コロナ感染者の数字を見たら、自国とは比較にならないほど少なく、重症化率も致死率もかなり低い。オリンピックの選手にだけ冷遇する嫌な国という印象をもつのではないだろうか。しかもその国の人に聞いたら、彼らも暖かく歓迎したいのに、その国の政権トップがこのような対応を勝手に決めたのである。もし、その国が日本だったら、普通の日本人は、恥ずかしいと思ないだろうか。

オリパラの外国人アスリートを侮辱する無観客判断の責任者は誰か

無観客判断をした日本、あるいは日本人を「外国人を差別するとんでもない国」と指摘されたら、それはすでに深刻な国際的な問題となっているのである。今までさんざん無観客を主張していたマスコミや論客は、正しく反論できるのであれば、海外のマスコミへ納得できる説明とその非難に対する責任をとってもらいたいと思っている。

特に、海外各国の国家威信を背負ったアスリート、関係者へ侮辱的な無観客判断を下した東京都知事、オリパラ委員長、オリンピック担当大臣の3名には、重大な説明責任があり、無観客の判断について、どんな議論がされたのか、その詳細を記した議事録を公開して欲しいと思っている。8日にどんな納得できる議論で、無観客判断がされたのか、その内容を世界中のマスコミやアスリートへ発信する義務があるのではないだろうか。

すでに世渡り上手のバッハ会長は、全世界のアスリートや政府関係者にむけて、日本は無観客という残念な(不可解な)判断をしたが、それにもめげずに日本へ来てプレーをしてくれと100%日本が悪いような印象の伝え方をしている。おそらく、議事録には、無観客反対を主張、明言しているのではないだろうか。

ただ、大方の日本人は、この3名が今回の無観客判断の最終責任者とは思わないであろう。黒幕の最終責任者は誰なのか、それは、自由民主党総裁で政権トップの菅首相だと感じるのである。さらに菅首相は、無観客判断と関係が無いのに、わざわざ東京に対して緊急事態宣言まで発出している。本当は東京都知事が黒幕かも知れないが、過労で倒れたか弱い知事のイメージがあり、全ての責任は菅首相、自由民主党政権にあるようにみえるのである。

さらに今回のドタバタに端を発して、過去の緊急事態宣言の自粛効果についても、疑問を持つ人が増えている。いくら予防的な処置と言っても、病院が重傷者でひっ迫しているとか、感染者数の増加より恐ろしい重症化率や致死率が上昇しているなどの深刻な具体的な話は一切聞かない。むしろ、感染者数が増えても、高齢者へワクチン接種が普及したお陰で重症化率、致死率は大きく減少しているのである。

今回の緊急事態宣言では、どの程度の予防効果があるのか、納得できる論理的な説明は一切ない。要は、オリンピックに対して、わざわざ緊急事態宣言をおこなう菅首相の判断が、嫌がらせのような場当たり的、作為的なものに見えるのである。これも海外のアスリートからすれば、差別的な、非友好的な政策に受け取られるのではないだろうか。    しかも、国民の多くが、納得出来たら良いのだが、日本でも、なんでこんな時期にわざわざ緊急事態宣言をするのか、納得できない人が増えているのである。

なにしろ、毎朝、日本人が応援する米国で活躍する大谷選手は、観客が入ったスタジアムで楽しくプレーしている。その米国のコロナ感染者数は、7月上旬は、日当たり数万人もいたが、ワクチン効果で7月中旬には数千人へ減少しているものの、日本の感染者数より多い。
日本は、欧米に比べ明らかに「さざ波」程度の感染者数なのである。その米国では、大統領自らマスク装着は不要と公言し、大方の人がマスクを装着していない。しかも、日本人の多くがこの事実を知っているのである。

さらに今回の東京の緊急事態宣言で、飲食店を狙い撃ちにした酒の自粛要請もとても理解しがたく、変であり、大きな反発を招いた。コロナ対策の大臣の金融機関の圧力発言は、致命的であり、国民からの怒りを買ったのである。その黒幕は、大方の人は、菅首相という見方をしている。いまやオリンピックを台無しにする責任者は誰かと聞かれれば、東京都知事でなく、菅首相、自由民主党になっているのである。

自民党の秋の選挙惨敗を予感するオリンピック無観客開催

無観客でのスポーツ観戦ほど恐ろしく無味乾燥なものは無い。観客あってのオリンピックであり、それを無観客にするということは、アスリートへの侮辱以外の何物でもない。
すでに外国選手で、無観客と聞いて怒ってボイコットした選手がでてきたが、その気持ちは痛いほど理解できる。

今こそ、日本は、温故知新で、ちょうど100年前の1920年にベルギーのアントワープで開催されたオリンピックを見習わなければいけない。当時、恐ろしいスペイン風邪が流行、第一次世界大戦後の荒廃した欧州で開催されたが、無観客といった判断は無く、観客を入れて、オリンピックを実施したのである。

無観客での開催は、IT技術で可能になったという意見もあるかも知れないが、だれもいない競技場ほどテレビで見ていてつまらないものはない。競技場に観客がいるからこそ、自分も一緒に参加している気持ちになり、観ていて面白いのである。昨年の無観客の相撲や野球、サッカーは、気持ち悪くて一切みなかった。無観客でプレーした選手は、もっと気持ち悪かったのではないだろうか。

そんな嫌な思いを、わざわざ外国のアスリートにさせる判断をした最終責任者である自民党の菅首相の見識とはいかなるものであろうか。オリンピックの無観客判断のタイミングで、緊急事態宣言が発出されたが、仮に緊急事態宣言が出されても、それが無観客判断の正当性を主張することにはつながらない。

大袈裟に聞こえるかもしれないが、オリンピックを無観客にするかどうかの判断は、東京が緊急事態宣言を発出しているかどうかという問題とは、直接関係は無い。それは、日本がオリンピック招致の時の約束を守れるかどうかという根源的な国際的な信用の問題、国家威信をかけた重要な問題なのである。

評論家は、やたらオリンピックを厳しく批判する。巨額の資金で運営されているとか、商業主義とか、なんとでも自由気ままに言えるだろう。だが、どんなに問題があっても、オリンピック開催を一旦引き受けた以上、それをしっかりと実行する義務が日本にはある。

2013年9月、オリンピックの東京への招致が決定した際にオリンピック委員会、さらにその世界最高峰のスポーツの祭典に参加しようと必死になって頑張っている世界中のアスリートに日本は何を約束したのか、もう一度、原点に戻って、思い出さないといけない。
日本は「おもてなし(Hospitality)」の国であり、原発問題の汚染水の問題があっても、安全、安心できる大会の開催を約束したのである、だからオリンピック開催させてくれ、その約束は必ず守るとコミットしたのである。

すでにコロナ対策では、日本は過剰なほど、厳しすぎる安全、安心の対策をとってきた。ただ、その過剰な厳しすぎるコロナ対策は、一般の日本人の眼から見ても明らかにやりすぎで異常である。そして無観客判断は言語道断のアスリートへの侮辱に近い相当にひどいものであることを忘れてはいけない。

今回のオリンピック前の菅首相による不可解な政治判断、すなわち「外国人の人種差別につながる無観客」、「不可解な東京の緊急事態宣言」、「酒提供への金融機関圧力(既に撤回済)」の3拍子そろった首相の決断に国民は相当に怒っている。その証拠に直近のアンケート調査で、菅政権に対して6割の国民が反対、不支持を表明している。おそらく、このまま無観客のままオリンピックを強行すれば、外国人へのコロナ差別がクローズアップされ、自由民主党の秋の選挙の惨敗はほぼ間違いないであろう。無観客の悲惨さは、日本人の誰もが恥ずかしい思いをすることは間違いない。その結果、海外のアスリートに対して、こんな恥ずかしい、申し訳ない思いをさせた原因をつくったのは誰かということになる。その時には、菅首相や自民党、東京都知事、神奈川県知事、埼玉県知事、千葉県知事、北海道知事、福島県知事など無観客を決断した政治家を決して許さないであろう。

まだ間に合う、無観客の即時撤回、有観客への転換

今こそ、菅首相や自民党に求められることは、ただ一つ、「無観客」という愚かな間違った政治決断の即時撤回である。面子にこだわる必要は全くない。今回ばかりは、君子が豹変しても、心ある日本人なら誰も文句は言わないであろう。むしろ、その時に、国民は怒るどころか、その勇気ある決断を歓迎するであろう。また、公表時に、首相の横に、ある業界から嫌われ、不人気で不可解なコロナの専門家など同席させる必要はまったくない。

バッハ会長と相談した上で、あくまでオリンピック委員会からの強い要請に応じ、堂々と謝罪して、無観客の判断を撤回し、有観客にする方針へ転換した旨の公表をすれば良いのである。バッハ会長はそれだけ、今回の無観客、有観客の判断に対して、決定権を有しているのである。そして、最後に今回の有観客への転換の責任は、首相がとると一言付け加えれば良いのである。

すでにチケットをキャンセルした人には、再度、チケットを復活してあげれば良い、それで問題はないはずだ。むしろ、有観客に方針転換する場合に、専門家がこだわっていた人流について、気になるなら、オリンピックの競技場近くの日本の小学校や中学校、高校を任意に選択し、抽選でそこの児童、学生に特別に参加してもらってはどうだろうか。特に日本の小学生は「可愛い」と海外では評判である。その小学生がずらっと並んだ競技場に、温かい空気が流れ、そこに参加した小学生や中学生、高校生も一生の思い出として語り継ぐことになり、一方で海外のアスリートもとても喜ぶはずだ。

さらに、海外から来日するオリンピックのアスリートや関係者と受け入れる地元との様々な交流もどんどん推進すべきである。コロナ対策が万全な海外から来られるアスリートや関係者と地元との交流は、三密対策は必要だろうが、おもてなしの心を示す絶好の機会なのである。真の政治家なら、首相自ら、もうコロナを異常に恐れることはやめようと呼びかけるぐらいの度量と度胸は欲しいものである。もう、官僚的な政治家は要らない。

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