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パラリンピックこそ情操教育のために有観客を目指すべき

令和3年8月9日

社会資本研究所

南 洋史郎

無観客はオリンピックとコロナ感染拡大の無関係を証明した

オリンピックの無観客は、7月8日にコロナ感染対策の専門家と称する尾身会長が、それまでに無観客にすべきという政治的発言、強い主張があり、決定された。それにより、7月12日から東京は緊急事態宣言も発出された。それにもかかわらず、デルタ株の新型コロナウイルス(以下「デルタコロナ」)は感染拡大し続け、今や東京都は9割がデルタコロナになり、オリンピックの無観客をあざ笑うかのように感染が拡大中である。

7月23日から8月8日のオリンピックの開催の期間中でも、東京以外の大都市でも、デルタコロナは猛威をふるい、感染は急拡大した。もし、尾身会長のご主張通りに、オリンピックの観客の人流が、デルタコロナの感染拡大を引き起こしているなら、主張通りに無観客にしたので、感染拡大は起こらないはずだ。しかし、オリンピックの開催中、選手や大会関係者が決められた場所から一度も外出していないのに、デルタコロナは大阪や沖縄など日本中で大流行している。つまり、無観客は、オリンピックとコロナ感染拡大がまったく無関係であることを証明したのである。

デルタコロナ感染拡大と無関係がわかった「無観客」のために、「東京の緊急事態宣言」のために、どれだけ多くのオリンピックや東京、その他道県の経済損失があったか、甚大なる被害が生じたか、ご存じであろうか、もし、心ある専門家なら、まず真摯に関係者に謝罪すべきと思うが、未だに明確な謝罪は無い。これが、もし、ビジネスの世界なら、謝罪では許されない、巨額の損害賠償の対象になることは間違いない。その時は、請求先は自分ではなく、菅首相や政府だと言いたいのであろうか、それなら、まずは、首相や大会関係者へ謝罪すべきなのではないだろうか。

それどころか、会長は、今度は、さらにオリンピックを開催したから、海外から変異種が流入しデルタコロナの感染爆発につながったという釈明をされた。すなわち、デルタコロナの流行は、オリンピックを開催したことが原因であると明言されたのである。ところが、その後、国立感染症研究所による遺伝子の解析で、日本のデルタコロナの感染起点の国内感染者は5月18日、海外渡航者の感染者は4月16日の検疫検体から発見された。その結果、6月以降、7月から続々オリンピックのために入国した海外からの選手や関係者がデルタコロナの感染の原因でないことが証明された。つまり、会長の釈明は完全否定された。

日本国内では、今年の5月まで、オリンピックは中止するべきと言われ続けた。それを主張される経済人や専門家など様々な方が、TVなどマスコミであんなものは止めれば良いと偉そうに話をしていた。その理由は、海外から数万人の選手や関係者が来日し、海外の感染力が強い変異種、特にデルタ株の感染者数が急増するからということだった。ところが、ふたを開けてみると選手村や競技中の選手、関係者の集団は完全に検疫、隔離され、コロナ感染の検査チェック体制が徹底し、少しでも陽性者が発生するとその選手や関係者は隔離され、一次、二次の接触者はPCR検査が徹底された。

すなわち、これで、日本でのオリンピックの開催によるコロナ感染の拡大との因果関係は無関係であることが立証されたと考えている。7月23日から8月8日のオリンピック開催の期間中、デルタ株の変異種どころか新型コロナそのものの感染の流行は、検疫、隔離が徹底されたオリンピックの開催エリア内では完全に阻止されていた。
一方、検疫隔離体制がとられていない東京をはじめとする国内の他のエリアでは、オリンピックの開催があっても無くても、それとは無関係に新型コロナが猛威を振るい、特に感染力の強いデルタコロナは、東京だけでなく、日本の各都市で猛威を振るっている。

すなわち、今回の東京でのオリンピックの経験は、大袈裟に言えば、人類全体で共有すべき財産ともなる貴重な経験になったのであるが、今後、仮に致死率が高い、新たな新種のパンデミックの流行があったとしても、それとオリンピック開催の是非は無関係であり、開催都市でのオリンピックが開催されるエリアのみ、完璧な防疫体制がとれるのであれば、無観客か有観客かという議論すらナンセンスという結論になる。有観客でも、防疫体制がとれるなら問題なく開催できるのである。

     

オリンピックのお陰でパラリンピックは有観客でOKが立証された

                     

パラリンピックを有観客にしても問題は無いと考えている。それがわかったのは、オリンピックを無観客にしても、デルタコロナウイルスの感染流行で、何の意味もないことがわかったからである。まさにデルタコロナのお陰である。 無観客にすれば、防疫体制(=Epidemic Prevention System)は選手と関係者、大会主催者だけの隔離検疫の体制確立ですむ。それだけのことである。
有観客にした場合、来場する観客にまで、隔離検疫体制がとれるかどうか、観客の中から感染者が発生しても、その防疫体制がしっかりとれる自信があれば、感染者が発生するということを過度に恐れることは無いということがわかったのである。

すなわち、有観客であっても、オリンピックやパラリンピックの選手村や競技場などのエリアをオリパラ防疫、隔離検疫エリア、略称として「QAOP」(= Quarantine Area in Olympics and Paralympics)、オリンピックを「QAO」、パラリンピックを「QAP」と形容すれば、このQAOやQAPの限られた地区、地域のみ、変異種を含めた新型コロナウイルスを隔離検疫できれば、何ら問題なく有観客で開催できることが立証されたのである。

東京オリピック2020は、これからのオリパラの開催は、QAOPの体制確立の有無が重要になることを教えてくれたのである。逆に言えば、QAOPの体制さえ確立できれば、有観客でも全く問題がないことがわかっただけでも、大きな収穫であったとみている。
これからのオリンピックは、東京オリンピックでの悲惨な無観客経験の犠牲のお陰で、無観客の開催を永久に追放できることになったのではないかと考えている。バッハ会長が喜ぶ理由もそこにあったのではないかと推察している。

以上から、8月24日からのパラリンピックを政府が有観客にできると判断された場合は、その隔離検疫の考え方は、パラリンピックに集まった、管理しやすい集団を、逆にQAPへ組み入れる発想で良い気がする。
空港でおこなっている100%の検疫、すなわち少し時間がかかるPCR検査や簡易的な抗体検査を併用することで、陽性の感染者をあぶりだし、撲滅していく絶好の機会を得たという逆転の発想が必要になるのではないかと考えている。

有観客による感染者、陽性者の発生を恐れるのではなく、競技場へ入場するまでに抗体検査、PCR検査による全員検疫と追跡アプリのインストールをおこない、入場前に陽性者が出れば、チケットがあっても、入場をあきらめ、返金してもらい、入場して観戦後にPCR検査で陽性が判明すれば、観戦者の周囲の観戦席の人たち(一次、二次)へのリングワクチン対策でワクチン接種をおこない、ワクチン拒否者には、再度、PCR検査で確認、チェックするなどの二重、三重の検疫、防疫を展開して、パラリンピックの会場をコロナ検疫、防疫の拠点にする発想が必要なのである。

       

パラリンピックを小中高校生の情操教育のために活用して欲しい

                     

2016年7月に神奈川県の相模原の障害者施設で実に不幸な事件が発生した。胸が痛くなるほどつらいので詳細は語らないが、小中学生や高校生の若い方には、障害とは何かを理解して学ぶ良い機会が無いかと考えている。パラリンピックこそ、その良い機会の一つではないかと思う。しかも、コロナのお陰で、応援ボランティアとして、無償で観戦できる可能性も高い。

パラリンピックで身障や知的障害など体は不自由でも、さまざまな障害を乗り越え、活躍する姿をみれば、きっと障害というのは他人ごとでなく、自分の生き方の問題として、自分自身の人生を見つめ直す良い機会を得られるのではないかと考えている。

オリンピックは、5月までは、開催を中止せよという主に左翼の方の反政府活動、6月からは、今度は専門家の方の予期せぬ無観客発言など何かと厳しい逆風が続く中、それでも開催できて良かったと思っている。開催直前に無観客でも、小中高生や大学生にオリンピックを観てもらえればと思って、関係する都や県、道の知事さんや関係者の方々へ働きかけてみたが、流石に見事に無視された。
ただ、オリンピックの無観客とデルタコロナのお陰で、今まで述べたように防疫、検疫体制がしっかりしていれば、無観客は不要で、むしろ有観客の方が集団検疫、防疫を推進できることがわかった。

東京で開催されるパラリンピックは、一生に一度あるかないかのスポーツ・イベントである。24日までわずか2週間、お盆の時期を除くと1週間しかない。しかも小中学、高校生の子供たちは夏休みで、8月の後半は夏休みの宿題で忙しいだろう。果たして、今から、応援ボランティアとして無償で観客として、参加できると競技場周辺の小中学、高校へ呼びかけても、大会関係者もテンヤワンヤで難しいことはよく理解できる。
ただ、テレビ報道やネット拡散の力を借りて、8月24日から9月5日までの応援ボランティアを集めることは難しいであろうか。

一方、一部のテレビなどのマスコミは、何をしても政府の言動や行動には、猛烈な反対の突っ込みがくるであろう。おそらく、連日、デルタコロナの問題を報道しながら、そんなことは許されないといった感情的な反発をまねくことは必至である。しかし、そうした困難はあったとしても、ぜひ、こんどこそ、21世紀の未来を担う若い人たちの情操教育のためにも、パラリンピックが有観客になることを願い、祈りたい。

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