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総選挙は自民党の岸田首相・高市政調会長に賭けてみるか

令和3年10月18日

社会資本研究所

南 洋史郎

財務幹部の言論暴走の裏に岸田政権への甘えと変な信頼感がある

10月31日の総選挙に向けて世の中は選挙一色となった。選挙直前の国会解散前に財務省の矢野事務次官が、給付金バラマキを批判する記事を公表、案の定、ネット界隈から強烈な反論の嵐が巻き起こった。高市政調会長やその他の自民党議員からも、痛烈なお叱りの意見が続出したが、どうやら、事前に鈴木財務大臣や岸田首相へは相談したらしい。

ただ、論文の中身は詳しく読んでいないのであろう。与党主張のプライマリー・バランス(以下PB)凍結や大規模な財政支出は間違っている、野党の消費税減税は駄目と断言、財政破綻を避け、PB黒字化のため、消費税の引き上げの必要性を堂々と言及している。新しい資本主義の前に、先進諸国の政策基盤になりかけているMMTなど新しい経済の考え方に反する論理性に欠ける稚拙な論文である。政治家でない、事務次官ともあろう人物の給付金攻撃に国民の財務官僚=悪徳官僚のイメージをさらに強めただけの話で終わった。

普通なら、マスコミはこぞって、財務省が政権に反旗を翻していると財務大臣や首相へ痛烈な批判を展開するだろう。しかし、今回は総選挙でどうせ国民から手痛いしっぺ返しを食らうのでおとがめ無しとなった。ただ、国会解散の翌日の15日は、どの新聞も自民党が獲得できる議員数は今より30から40少ない厳しい見方をしていた。ある和製タブロイド紙は、政権維持が難しくなるレベルまで惨敗すると酷評していた。

さて、ここで疑問に感じたのは、いつも御用学者を通じ財政破綻を警告させる財務官僚が、今回、珍しく表舞台に登場し、持論を堂々と展開したことである。一般に、霞が関の官僚は裏方に徹し、決して表舞台にしゃしゃり出ない。ところが、表舞台で話をすることは、自分の主張に自信があり、良い意味で鈴木大臣や岸田首相なら大丈夫という安心感があったのであろう。ジャイアンの陰で嫌味を言いまくるスネオの心境だったかも知れない。

政治家を陰で操り、首相でも命令通り動かない、狡猾な狂信的な増税カルトの面々である。逆に言えば、計算高く頭の良い財務官僚が、岸田首相という親分のため、わざと悪役を演じ、何か企んでいるのではないかと勘繰りたくなるのである。誤解なきように言えば、財務省の大多数の普通の職員は、真面目で誠実、優秀である。財務官僚だけが異彩、異臭を放っているのである。財務省の職員にとっても、これは迷惑極まりない話である。

政治家が、財務官僚の意見と違って対峙すれば、マスコミへマイナス情報をリークし蹴落とす。甘ければ、徹底的に自分たちの意のままに動かす、霞が関に巣食う困ったエリート集団なのである。ところが、財務省出身の政治家の多くは、頭が切れ、有能な方が多い。あの冷たい石造りの建物で働くと何かに憑依され、性格が変わってしまうのかもしれない。

8年前、財務官僚を抑え込めると信じ安倍首相の自民党を支持、投票したが、それでもあの安倍首相でさえ、財務官僚の画策で2度も不吉な消費税を上げざるを得なかった背景がある。増税後に悪いことが起こるというジンクス通り、コロナ感染騒動が勃発、体調も悪くされ、昨年9月に退陣せざるを得なくなったのである。

どうした解散演説の岸田首相は別人の頼もしいリーダーに変身していた

こうした背景から、14日の岸田首相の解散演説は、さぞかし財務官僚など様々な関係者へ配慮した理解不能の政策を公表すると思っていた。ところが、その演説の中身は、良い意味で全く違っていた。リーダーシップが感じられ、自信たっぷりの力強い、魂がこもったものだった。短いスピーチで、わかりやすく、未来に希望が持て、信頼できる答弁で秀逸であった。

今回の総選挙を「未来選択選挙」と形容、経済の活性化のため、数十兆円規模の巨額の財政支援を約束、賃上げ促進税制を推進、民と官による新しい仕組みの財政投入も必ず実行すると約束したのである。全て財務省の全面支援が無いと実現できない、財政の仕組みを変える必要のあるものだが、驚いたことにそれを公然と約束したのである。

今まで、何を言いたいのかわからないウダウダした答弁が多かった岸田首相が、全く別人のように明確に保守を基盤に一本筋の通った経済政策を主張、力強く日本を変えると豪語したのである。能弁な政治家なら、口がうまいな、でも大丈夫かなと心配になる。ところが、普段は朴訥(ぼくとつ)として、実直だが、どこか自信なさそうな話し方の人物が、急に別人になって、原稿も読まず、ペラペラと立て板に水の無駄のない言葉で心に訴える演説をしたのである。

聞いている方は、これなら信頼できる、いや、待てよ、財務官僚が、岸田首相の言うことなら聞きそうだ。そうか、あの事務次官のトンデモ発言は、今の財政の仕組みを厳しく批判し、これから財政を抜本的に変えるという予告だったのかも知れない。岸田首相が強力推進する官と民による新しい資本主義の中身を少しほのめかしていたなら、場違いな発言は、実は常人が思いつかない、すごいことをこれから実行する布石だったかも知れない。そんな勝手な妄想にかられた。

消費税減税の野党にも魅力を感じるがもう一度自民党に賭けて大丈夫か

もしかしたら、従来の財政赤字の債務だけが積み上がる普通国債の財政の仕組みから完全に脱皮し、官と民が連携し、次々と巨額資金を投入、短期間で国富を高め、新たな事業を興す、あの財政投融資の「財投債」へ財政を全面シフトするという意味かも知れない。もし、財務省と連携し、岸田首相が本気になって財政投融資を推進するなら、これは日本経済を浮揚させる起爆剤になる。しかも、財投債は、一般会計ではなく、特別会計であり、同じ国債であっても、国の借金の扱いからは除外される。理論上は、従来、建設国債の名目の土木プロジェクトが、財投債へ切り替わった後、その分、国の借金が減る勘定となる。

その場合、株価は5万円を軽く超え、土地の価値が上がり、日本の国富が急上昇、世界トップクラスの成長力のある国に大変身する可能性が高まる。それなら理屈抜きで、今度の選挙で、岸田政権を応援し、好景気でワクワクする所得倍増の元気な日本をもう一度見てみたい。こんな妄想が、頭をよぎったのである。

今まで述べたことは、すべて小生の勝手な思い込みである。過去、何度も自民党を信じ投票したが、それでも消費税を上げたように、岸田政権からも裏切られるかも知れない。 ただ、常識ではありえない官僚暴言の裏に、きっと何かあるに違いない。今度の選挙は、様々な野党が、消費税5%を主張し、自民と公明の与党だけが10%のままなので、お灸をすえる意味で野党に投票したくなる。特に国民民主党の経済政策は、優れておりとても魅力に感じる。

しかし、野党が選挙後に大勝利し、与党の議席をとらない限り、いや万一、政権をとっても、あの財務省が大きな壁となり、首相命令でも動かないだろう。要は選挙公約は素晴らしいが、実現性が読めないのである。逆に財務省を思い通り動かせそうな人物は、岸田首相以外に見当たらない。だから、騙されたと思って、もう一度、自民党へ1票を賭けてみる気になった。仮に岸田公約が実現できず、国民の支持率が急落、政権として短命に終わっても、その時は、高市政調会長が次期首相として登板してもらえるに違いない。次期首相期待で、岸田政権・高市政調会長の自民党を応援する気になってきた。

官と民の新しい資本主義、財政投融資の産業活性になぜ期待するのか

岸田首相が主張する官と民による新しい資本主義は、岸田首相だけでなく、自民党重鎮の麻生副総裁や安倍前首相も肝いりで自由民主党にて独自の「分配と成長の好循環」の政策のグランドデザインを策定しようとするものである。15日に、山際大臣主導で、「新しい資本主義実現本部」の事務所を開設された。ただ、その中身が全く見えない。いくつかのキーワードを読み解くと「官と民による日本型資本主義の復活、高度化」という意味とも解釈できる。有名な原丈二財団代表が提唱する「新しい資本主義」の公益資本主義という考え方、超長期の視野から、世の中、社会に役立つ技術、事業、産業を新たに創出、推進することが重要で、その果実を従業員も含め皆でシェアするという考え方に通じる。

ただ、公益資本主義を提唱している原丈二氏は、今回の会議のメンバーには入っていない。女性の経営者やシンクタンク研究者、労働組合トップなどが参画している。おそらく、経産省、財務省、厚労省の官僚が組織横断的に策定する資料をベースにグランドデザインが描かれるのであろう。すでにある程度官僚主導でシナリオができていると考えても良い。

欧米型の資本主義は、明確に事業は株主のためと定義しているが、日本型の資本主義の特徴は、会社は株式を保有する株主以外、そこで働く従業員やお客様、仕入れ先、さらに社会のために存在すると経営理念で定義されている点にある。ただ、日本型の資本主義の考え方を大事にする欧米の優良企業も数多く存在する。逆に日本企業の中には、欧米企業以上にドライに割り切って、キャッシュフロー経営を志向するところもある。

一概に日本型の資本主義モデルを追求し、企業というミクロの単位で事業、産業を云々しても、なかなか社会構造まで変えることは難しい。労働分配と言っても、低い評価の従業員の低い分配は当然である。しかし、能力が高い、低いかを決めるのは、上司や組織の長であり、そこには人間関係や互いの相性の問題、仕事の要領の良し悪しが存在する。そのため、人事評価と成果分配には必ず矛盾が発生し、分配の仕組みまで国は関与できない。

そこで、評価が低くすぎて分配が少なすぎるか、もともと平均賃金が低い恵まれない産業界で、さらに低すぎる評価、分配で生活に苦しむ労働者の皆さんを制度面でいかに救済できるかを考えるのが、政治家の大事な仕事であり、国の重要な任務となるのである。
すなわち、政治家は、陽が当たらない、不幸な人たちに、いかに温かい手をきめ細かく差し出すことができるかによって評価されるべきなのである。政治家が、国民への分配を言う以上、国民から評価が低い政党や政治家の報酬の分配まで、思い切ってメスを入れる覚悟ぐらいは必要なのである。

また、成長という視点で事業や産業をみると新しい成長分野の事業、産業開発は、収益を安定的に上げるまでに長い時間がかかり、赤字が続くため、魅力的な分配を続けるために従来の民間企業では対応できない10年以上の長い目で、資金を支援し続ける国の財政支援が必要となる。そのため、無駄になるかも知れない発展途上の事業へ国がどこまで裏切らずに資金支援をおこなえるかも重要な要素となってくる。

こうした10年を超える超長期の事業開発は、財務省の理財局が管轄する財政投融資の財投債による資金供給が欠かせない。官と民による新しい資本主義、それを財政投融資による民間も参加する産業振興と理解すれば、その巨額の資金で、従来民間だけでは、なかなか開発推進ができなかった新しい分野の投融資案件を開発できるのである。

財投債こそ財政赤字を解消し国富を高め日本を豊かにする魔法の杖

財投債は、財政投融資特別会計国債のことを意味する。国債は、この財投債と普通国債に分かれる。普通国債は、償還の返済原資が税収であり、赤字債務として一般会計で処理され、国税庁との連携が必要となる。つまり、普通国債が増えれば増えるほど、その返済資金として、消費税を含めありとあらゆる税金を国民から取り立て、その国債という債務の返済に充当しようとするのは当たり前のことである。

財務官僚が、いろいろ厳しく非難されても、強い職業使命感、倫理観に燃え、必死になって税金を国民から徴収しようとする姿は賞賛に値する。優秀な人は、法律や決め事、命令を忠実に守り、働く勤労者の模範である。いくら非難されようとも、微動も揺るがず、職務に忠実に頑張るのである。その姿は、戦前の優秀な軍人、投降の命令があるまで30年間も島で諜報活動を続けた小野田少尉の姿と重なり、財務官僚に対して、ある意味で哀れに思うし、尊崇の念を禁じ得ない。

一方、財政投融資の要(かなめ)となる財投債は、金融市場から資金を調達し、それを特殊法人などへ貸し付け、特別会計で処理される。毎年、様々な国主導の財政支出のための資金調達を普通国債から財投債へ転換できるものについて、それを促進すれば、優秀な財務官僚であれば、今度は税収を徴収するのでなく、ベンチャーファンドも顔色真っ青となるような投資案件の発掘と審査、プロジェクト開発に必死になって頑張るであろう。

財政投融資は、国富、国力を高め、日本経済を上向かせる起爆剤になるものであり、国税庁から理財局、さらには国富庁へ格上げした組織へ配置転換を進めることで、今度は優秀な財務官僚、財務職員をお国のために産業を興す仕事につかせることができるのである。おそらく、日本でもトップクラスの優秀な頭脳をもった人たちである。令和の渋沢栄一になって、日本経済の活性化へ貢献してくれることは疑う余地もない。

ところで、余談になるが、普通国債は、財政法4条で規定される「建設国債」、別名「4条債」と言われている。その他に「特例国債」、別名「赤字国債」、東日本大震災でもお世話になった「復興債」、さらに償還までに税収返済できず、国の借金を借り換える「借換債」の4つがある。いずれも返済原資は税収であり、普通国債の残高が増えれば増えるほど国の借金が増加するため、税収で賄えない場合、この借金がどんどん増えていく勘定となる。

ちなみに令和2年の国債発行残高の実績推計は940兆円、436兆円が10年を超える超長期債、314兆円が10年の長期債、190兆円が2年か5年の中期債である。毎年、100兆円を超える借換債を発行して、国家財政を維持しており、令和3年度の国債発行予定額は、236兆円となっている。

令和2年のコロナ禍の財政支援では、財務省は、建設国債は6~9兆円から23兆円、赤字国債は26~30兆円から86兆円、財投債は12~20兆円から39兆円へ約百兆円も増加させて、コロナ禍の国の財政を支え、日本の経済を救ったのである。こんなに日本が破綻しないように頑張ってきたのに、少しは自分たちの思いや活躍を分かって欲しいとスネオになる気持ちは痛いほど理解できる。

なお、財投債は、一般会計で処理されず、特別会計で処理され、20年前は418兆円の残高があったが、現在は150兆円まで減少している。小泉政権から猛烈に財政投融資を悪者にして、削減をし続け、新たな産業投資に向かうべき資金を250兆円以上も減らせば、貯蓄資金が増え、投資や消費の資金が減り続け、日本経済が疲弊するのは当たり前のことである。

国民、金融、産業の各セクターが資金を滞留し続ける深刻な経済状況

現在、日本の国民セクターでは、2021年6月で1992兆円の金融資金が保有されている。そのうち1072兆円が預貯金である。2010年は、国民セクターの金融資産は1442兆円、預貯金が756兆円だったので、この10年間で国民は550兆円の金融資産、316兆円の預貯金を増やした勘定となる。

2021年6月の国の負債総額が1413兆円、2010年は1042兆円であり、この10年間で国は371兆円の債務を増やし、国民は550兆円の金融資産を増やした勘定となる。単純には論じられないが、国が借金した資金は、経済活動で循環して、まわりまわって、最後に国民の懐に提供されるが、その循環してきた資金を国民は、消費や投資に使うより、貯蓄にお金を回してきた結果、そのような歪(いびつ)な状況となった。

国の借金より、国民の懐の資金が1.5倍も多いのは、この10年間、アベノミクスの好景気で、経済が信用創造の仕組みで資金循環していたことを意味する。マクロ経済の理論通り、景気が良ければ循環するお金は確実に増えるのである。ところが、いまや国民の3割が65歳以上の高齢者となり、消費性向より貯蓄性向の比率が高いので、どんどん貯蓄が溜まっていく構造となっている。  

本来、信用創造の乗数が、本当に効力を発揮すれば、政府の借金より、1.5倍も国民の懐に資金が滞留することはない。その増えた資金は、さらに消費や投資へ循環し、GDPが3~5割以上、7百から8百兆円程度であってもおかしくないのである。高齢者の増加とは、お金がいくらあっても消費されず、貯める習性の強い国民が増えていくことを意味する。ただ、高齢者の貯蓄行動を抑制することは、戦争でも起こらない限り困難である。

普通、これほどの莫大な資金が銀行に流れ込むと貯蓄流動性がおかしくなり、連鎖預金倒産が起こってもおかしくない。当然、銀行は金利をほとんどゼロ近くで運用、利息の逆ザヤの問題を発生させず、一方、少しでも資金リスクのある先には貸さず、その結果、不良債権も発生せず、倒産リスクを低くし金融経営を維持する。ところが、優良な貸出先は減るので、公的な信用保証がなければ、貸せない金融機関が増え続けるのである。

また、優良企業は、損益拡大を優先する規模の経営より、キャッシュフロー重視の身軽な経営に重点を移している。その結果、内部留保がたまり続け、実質、金融機関からの資金調達が不要な企業も増加している。つまり、国民から膨大な資金を預かる金融機関は、貸し出しができず、貯蓄が増え、さらにその先の優良企業は、資金需要が少なく、新たな投融資で事業を興す意欲も減退、資金が滞留し続ける状況となっている。こうして、国民、金融、産業の3セクターのいずれも資金が滞留し続け、資金循環の回転が遅く経済が低迷、停滞するというお金はあるのに不景気という深刻な経済状況となっている。

恐らく、このままでは、仮に国の負債総額が2千兆円になっても、GDPが伸びず、国民セクターの貯蓄資金だけが3千兆円以上となり、さらに資金循環の抑制が深刻化して、信用収縮さえ起こる「過剰貯蓄による資金循環の停滞とそれによる経済不況」も覚悟する必要がでてきている。

国民セクターの資金を国内の産業振興に循環させる仕組みが財政投融資

お金が有り余るほど存在するのに消費も投資も抑制され続けるという、従来の経済常識では起こりえない、摩訶不思議な世界へ日本経済がひたすら突入している。過剰貯蓄で肥満の日本経済の悪玉の貯蓄資金の体脂肪が、資金循環の血管の中の善玉の消費投資資金の血流を抑制し続けているのが一番の原因である。

そこで、悪玉の貯蓄資金の血液を善玉の消費投資資金へ転換するために、国主導で財政投融資の財投債により、次々と巨額の産業を興し、余剰となっている貯蓄資金を金融市場から調達し投資資金へ転換して運用することが必要になっている。さらにその経済効果で消費も増やす良循環を構築できるのが財政投融資なのである。国の財政の一番の問題は、こうした国民行動をいくら変えようと思ってもそれは無理な話で、むしろ、貯蓄好きの国民の習性をうまく利用し、今の貯蓄行動を続けても、いつの間にか国の国債残高がどんどん減り、税収が少なくてもPBの黒字が続き、GDPはガンガン大きくなり、潤沢な国家予算を確保できる状況を作り出せば良いのである。

そのためには、国の財政バランスシートを新しい仕組み、制度でコントロールし、債務を劇的に減らすスキームを導入するしかない。それが一般会計で負債となっている普通国債を特別会計で資本扱いにできる財投債への大規模な転換なのである。想像して欲しい。今後、10年間で毎年50兆円が財投債の名目で500兆円の百年償還の国債が新規発行され、その5百兆円が全て財政投融資で国富を高めるための開発プロジェクトへ投入される日本がどんな状況になっているか。

例えば、半導体のような巨額な投資プロジェクトを推進しようとすれば、従来は民間企業を通じ金融市場から巨額の資金調達をするしか方法はなかった。ところが、国も積極関与できるように財政投融資の政策投資銀行が与信枠を数兆円レベルにまで大幅に引き上げ、1兆円クラスの巨額資金でも、出資や融資で資金投入できるようになれば、新たな半導体工場を日本へ積極的に誘致できるのである。日本の大企業の中には、いやそれなら喜んで次々と自らリスクをとって数兆円規模の投融資を手掛けようというところも現れるだろう。

大企業の経営者は、国が主導して、財政投融資のための融資資金や投資資金を金融機関経由で、湯水のように供給してくれるので、安心して次々と巨大プロジェクトを推進する気持ちに切り替わっていくのである。中小企業は、大企業から次々といろいろな引き合い、問い合わせ、注文が舞い込んでくるので、どこも息を吹き返し、経済が急にザワザワと上向いていくのである。

従来、災害復興の復興債は普通国債の借金扱いで、税金で返済する義務を負っていた。これを財政投融資の分野で、新たに復興機構という特殊法人を設立、そこへ半永久的な投資資金を投入することで、負債の復興債を資本の財投債へ転換できるのである。復興債だと資金使途含め資金を使い続けるだけの発想となる。ところが、復興機構が投融資の資金を投入、復興を推進する中で、国主導でインフラ工事を担い、民間主導で新たな街づくりや産業を推進する発想になるので、官と民の役割分担がおこなわれ、その地域の産業が活性化するのである。

コロナで各地域の保健所がやり玉に挙がっている。ただ、皆さんの中でどれだけの人が保健所を訪問したことがあるだろうか。厚労省が節約しすぎなのか、多くの保健所は、ひどい職場環境で、30年から40年前の建物、設備で耐震設計も大丈夫かなと心配になるような、古く朽ち果てたひどい事務所で、文句も言わず頑張って働いている。

おいおい、日本ってそんなに貧しい国なのかと情けなくなるが、とにかくどの保健所も建物、設備が前近代的で劣悪である。これで新たな感染対策をどうかしろと言われても、それは無理な話である。そこで、これを短期間で改革するため、新たに感染対策機構という組織を設立、海外からの新たな悪質な生物兵器へも対応できるウイルス、細菌対策の中核拠点として、最新鋭の感染防止の設備が完備された保健所を全国規模でリニューアルすべきと考える。

この投融資資金は、金融市場から直接調達すれば良いし、保健所は駅に近い便利な土地の高いところに設置されていることも多く、感染対策のないときは、空室の部屋をホテルとして利用してもらい、新たな収入を得る場もつくることで、民間のサービス精神も磨くことが可能となる。

国富庁が創出され、財政投融資が再び民間の知恵やノウハウも入れながら、令和の渋沢栄一が憑依した優秀な財務官僚たちが、官民の巨額プロジェクトを開発する姿が現実のものとなった時、日本のGDPは1千兆円、所得は倍増、株価は10万円、人口は増え始め、新たな令和のベビーブームが起こり、2050年に1億5千万人に増えるニュージャパンが登場することを祈りたい。以上のような夢のような明るい未来にかける未来選択選挙なら、もう一度、騙されたと思って、岸田首相・高市政調会長の自由民主党を選択したい。

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