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2022年は日本人が覚醒し底力を発揮する壬の寅年

令和4年1月6日

社会資本研究所

南 洋史郎

今年は壬の寅年、60年前は日本人が経済発展を目指した縁起の良い年

2022年の令和4年は、60年に一度めぐってくる壬(みずのえ)の寅(とら)年である。過去3回の壬寅年の1962年、1902年、1842年を振り返ると、総じて日本人が覚醒し、日本が底力(そこちから)を発揮し始めた年、まさに日本人が虎(トラ)のごとく、勇猛果敢に新たに進むべき道を模索、選択して、歩み始めた年ではなかったかと考えている。

今から60年前の壬寅年である1962年(昭和37年)は、1960年7月から1964年11月まで続いた宏池会の創始者、池田勇人首相の時代である。第58代から第60代の総理大臣として任命を受け、第59代の総理大臣として活躍した時代であった。1960年が子(ねずみ)年、61年が丑(うし)年、63年が卯(うさぎ)年、64年が辰(たつ)年の5年間、所得倍増などの政策で大活躍をしている。あれから60年を経て2022年にまさかその宏池会から、岸田首相を輩出し、100代、101代の総理大臣としての活躍を期待することになろうとは、不思議な因縁めいたものを感じる。

1962年は、1964年開催の東京オリンピック前のオリンピック景気が始まった年であり、60年代の高度経済成長の口火を切った景気浮揚の年であった。野球は、縁起良く、阪神タイガースが寅年のセリーグ優勝を果たし、相撲は柏戸と大鵬の柏鵬(はくほう)全盛時代が到来、東京の人口が1千万人を超え、日本人が戦後から脱却し、自信を回復し明るく経済を発展させることが大事と目覚め、覚醒した年であった。日本は空前の景気に沸いたが、海外、特に米国や中国をみると穏やかな明るい年ではなく、難問を抱える辛い年であったと言える。

米国では、民主党のケネディーが大統領となり、ソ連との冷戦時代が続き、その年の10月にキューバ危機が起こり、ソ連と核戦争寸前まで緊張した政治の駆け引きが続いた。中国は、毛沢東の時代であり、中印国境紛争が勃発した年であった。それまでの5年間で大飢饉により2~3千万人の死者がでて、4年後の1966年から10年間は、文化大革命が起こり、毛沢東語録を振りかざした紅衛兵による政治家や資産家、文化人への殺戮(さつりく)や弾圧が続いた。その影響は日本へも飛び火し、全共闘を中心とする過激な学生運動に発展した。カンボジアでは長い間、中国共産党に全面支援を受けてきたポル・ポト、クメール・ルージュ共産党政権が過激な毛沢東思想による政策を実践し、1975年から78年までに数百万人の大量の人たちの餓死、虐殺をまねいている。

     

120年、180年前の壬の寅年でも日本が国力をつけ底力を発揮した

 

120年前の壬寅年、1902年(明治35年)は、陸軍大将であった桂太郎首相の時代であった。1月に日英同盟を締結、2年後に日露戦争が勃発、翌年に日本はロシアに勝利した。経済は、景気低迷が続き、6月に株が大きく落ち込むという記録も残っている。日本最初の私大、早稲田大学が創設され、台湾は、1895年の日清戦争勝利の後に割譲され7年が経過、長官の後藤新平により、日本と違った特別統治が始まっている。明治から大正へと時代が変わる前で、日本が国力をつけ、底力を発揮し始めた年でもあった。

米国は、共和党のセオドア・ルーズベルト大統領が政権運営を開始している。新渡戸稲造の「武士道」に感銘を受け、当初は親日だったが、後に日本を脅威に感じ、日本人排斥をおこなった。中国は、清王朝終末期の混沌とした時期であり、義和団事件が起こり、それが鎮圧された直後で、その後も各地で騒乱が続き、辛亥革命が起こり、10年後の1912年に清王朝最後の皇帝の溥儀(ふぎ)が退位、孫文が中華民国を建国した。

180年前の1842年(天保13年)は徳川幕府第11代将軍の徳川家慶(いえよし)の時代であった。10年後の1853年には浦賀にペリーの黒船が来航している。不作で天保の大飢饉になった後、百姓一揆が全国で起こった。老中の水野忠邦の天保の改革がおこなわれ、庶民が覚醒し、質素倹約に努め、何とか危機を乗り切った年でもある。

米国は、ジョン・タイラー大統領の時代であり、3年後にテキサス州を併合、フロリダが準州から州に格上げされるなど自国の領土がどんどんと拡張された時代であった。中国は清王朝の西太后(せいたいごう)の時代であり、その前に2年間続いた英国との阿片(アヘン)戦争に敗れ、中国にとって屈辱的な南京条約が締結された年であった。

壬寅年という切り口で過去3回、180年間を振り返ってみた。こうした過去の出来事は、どの年にも起こっており、単なるコジツケの話に聞こえるかも知れない。しかし、日本では、過去3回とも、その後の歴史の転換点となる良い意味で日本人が覚醒する出来事や、日本を勝利に導く戦いが起こる前の国力を高め、向上する年だったと分析している。

          

今年は大多数の日本人が保守思想の日本精神に目覚めその良さに気づく

       

日本人は、すぐに相手を信用、理解して受け入れるが、自分の中の善悪基準はしっかりとあり、正しくないことに従わない高潔な精神をもった賢い民族だと思う。見知らぬ相手や仲間と無駄な口論はしないし、やばい相手と思えば近づかない。外見は、謙虚でおとなしく見えるが、内面は考えすぎるぐらい、いろいろな思いを巡らし、物事の本質を理解、見極めようと努力する性癖がある。ただ、自分でなかなか良い答えが見つからない時、意外と声の大きい、影響力のある人の意見に左右されやすく、コロッと騙されることもある。一旦、悪意を持って噓を言う信用できない人と思ったら、距離を置き、表面上の礼儀は欠かさないが、それ以降は相手に近づかないし付き合うこともない。

どの国でも、礼儀正しく、思慮深く、会話で言葉を選ぶ慎重な人はいるが少数派である。日本の場合、大多数の国民が、こうした性格を持ち合わせ、言霊(ことだま)信仰もあり、口に出して否定的なこと、悪口を言わないことが正しいと考える風潮が強い。表立って他人を批判しないし、礼儀正しく、自己主張も控え目である。かといって、内面においては矛盾する様々な出来事への問題意識が強く、その葛藤(かっとう)に苦しむこともある。その答えを求め、書籍やネット検索、ユーチューブ動画などで探求する人も結構多いのではないかと思う。

過去、数年間、日本人が不可解で悩んできた葛藤が、直近では新型コロナへの対応であり、それに関連した中国共産党、習近平政権の香港の取り込み、台湾の統一などへの横暴な政策への嫌悪感、さらに米国大統領の明らかな不正選挙実態と米国混乱への不安感ではなかったかと考えている。また、コロナ後の今後の経済復興では、地球規模の気候変動へのCO2対策をどのようにすれば良いかという問題、特に日本の基幹産業のエネルギーや自動車産業の未来について、このままEVの電気自動車が普及し、日本の産業の将来が危うくなるという漠然とした不安もあるのではないかと思う。

今年の壬の寅年は、これらの葛藤で悩んできた諸問題に対しある程度、解決の方向性や指針をなんとなくスッキリと理解して、日本人が再び明るく自信をもって歩むことができる心の復興の年、覚醒できる年ではないかと考えている。精神面での大きな流れは、日本人の多くが、古い歴史をもつ日本独自の精神、日本精神、保守思想の良さに目覚めたことだと思う。その証拠に書店をのぞくと正論、WILL、HANADAといった保守系月刊誌が売れ、週刊新潮などの週刊誌もいかに保守化すべきかで記事内容を工夫し始めている。

ネット番組では、平日毎朝放映される虎ノ門ニュースや草莽崛起を提唱し保守系の言論番組として10年以上の長きにわたりネットメディアをリードしてきたチャンネル桜、最近、頭角をあらわしてきた文化人放送局などが活躍している。その保守の流れにもっとも遅れているのが、NHKなどテレビ放送メディアや新聞業界であり、そのしっぺ返しで視聴率や購読者数は落ち込み続けている。今年は、ついにこのテレビ放送や新聞の主流メディアでも、保守的な日本精神への流れに乗ることが大事と覚醒し、番組、記事作りが大きく変化すると予想している。日本中が国内回帰への大きな流れを先取りする年となるであろう。例えば、規模の大きい日本市場をガラパゴスと自嘲気味に見下し、日本だけで事業展開する企業をジュンドメと馬鹿にして揶揄する風潮も消滅するとみている。

 

弱々しく頼りない岸田首相のお陰で日本人は自ら覚醒し底力を発揮する

 

本格的な情報社会、ネット社会の世の中になって、海千山千の強かな政治家や専門家でも、SNSやネットメディアを中心に、否定、批判する意見が増え、TVマスコミもその流れに影響を受け、同じように加勢すると国民からの人気は急速に衰える傾向が顕著になってきている。そのため、21世紀になって、小泉元首相、安倍元首相を除き、6人の歴代首相は全員一年毎に入れ替わってきた。

2003年に内閣総理大臣公邸が新しく改築されたが、幽霊が出ると噂されるその公邸に入居した首相が6人全員、1年前後で退任している。自身もその一人になった反省から、2回目の政権では、縁起を担いで私邸を使った安倍首相は、歴代総理の中で最長の8年の任期を保つことができたといわれている。ところが、その後の菅首相は、総理公邸でなく、近くの議員宿舎に居住し続けたが、1年で任期満了を迎えている。SNSやネットメディアなどの影響か、総理大臣公邸のジンクス、幽霊の仕業(しわざ)かわからないが、6人の歴代首相の一年交代劇は、それだけ国民の政治を評価する目が肥えて、プロの政治家の登場を期待し、政治能力の査定が厳しくなっているからだと分析されている。

こうした背景を知ってか、知らないかは、定かではないが、昨年12月中旬に岸田首相は、突然、公邸へ引越しをしている。優柔不断でコロコロと判断がぶれ、外見は弱々しく、頼りない風貌だが、意外と人は見かけによらず、肝っ玉がすわり、度胸があるのかも知れない。従来の首相のように、任期1年で終わるとか、参議院選挙で敗退するとか、ネットメディアでいくら騒がれても、度胸一番、出たとこ勝負で、万事塞翁が馬と達観している様子もうかがえる。

このようにお人好しルックで、外見は弱々しく、政策もぶれて、頼りないといくら非難されても、タフな鋼(はがね)の忍耐力で、打たれ強く、「のらりくらり」ととらえどころのない政治家は、日本では長続きする傾向がある。理由は簡単である。国民が首相に早々と何かを期待するのは無理と期待値を低くし、頼ることをあきらめ、自分たちの力で何とかしなきゃと覚悟、覚醒するからである。もともと期待値が低いので、逆に今まで期待していなかった政策を実現した時の評価は高くなる。

安倍首相と異なり、岸田首相が何かスピーチをしても、マスコミの注目度や国民の関心度は低い。逆に言えば、テレビのマスコミから何かと厳しくバッシングされることも少なく、ある意味で得な政治スタイルなのである。過去を振り返ると大平首相に始まり、急逝によりバトンタッチした鈴木首相、あるいは宮澤首相など宏池会の歴代の総理経験者は、のらりくらりと打たれ強いところが強く印象に残っている。もしかするとこの政治スタイルは、宏池会独自の伝統芸、ノウハウとよべる特殊政治技能なのかも知れない。

岸田首相は、その人柄から来るものか、神がかった運の良いところがある。ただ、政治家、特に政権トップを担う総理大臣としての決断力、洞察力、采配力は著しく欠けている点は正直認めざるを得ない。ただ、その強運の眼に見えない運気には誰も勝てず、周囲の様々な人たちに助けられる得な性格も持ち合わせている。その運気に感謝し、周囲の人たちの支援、協力に謙虚に感謝する政権運営を心がければ、意外と2年から3年の長期政権となる可能性もでてきているような気もする。コロナも不思議と鎮静化したままで、なぜか感染流行が起こらない。その神がかった運気の良さを信じ、日本人自らが覚醒し頑張れば、今年はラッキーな壬の寅年になるのではないだろうか。

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