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岸田首相は令和の慶喜となり自民党は与党から脱落する

2023年10月23日

社会資本研究所

南 洋史郎

日本保守党の新党結成時の減税日本と組む本気と街頭演説の人気と熱気に脱帽

10月17日、自民党に失望した岩盤支持層が待ちに待った日本保守党の新党結成がおこなわれ、 その直前の記者会見で減税日本の党首で現役の名古屋市長である河村たかし氏が共同代表に就任するサプライズな発表がおこなわれた。 同じ保守系政党の参政党にはない政治プロ好みの驚きの展開に党首で有名作家の百田尚樹氏や事務総長の有本香氏の優れた政治才覚にあらためてすごいと感心している。 彼らが本気になって自民党を倒すぞというその意気込みには圧倒された。 さらに18日の名古屋駅前、21日の秋葉原駅前、新橋駅前の3会場の演説は、最近の政治集会で見たことも無いほど大勢の人が集まり、 その人気と熱気はものすごく、圧倒され脱帽であった。

明るく元気でユーモアな毒舌で有名な河村市長は、その強烈なキャラクターから過去金メダルかじり報道などマスコミのネガキャンのバッシングを受けて駄目な政治家と誤解する人が多い。 ところが、政治界隈で仕事をするプロの人たちからは、その卓越した政治手腕に対し、 畏敬の念をもたれており、評価の高い実力派の政治家の一人であった。 なんと日本保守党は、その結党時からプロが認める本物で大物の政治家を担ぎ出し共同代表に呼び込むことに成功したのである。

実際、2011年から5期12年以上の名古屋市長の治世により、名古屋市の人口は6万人も増え230万人を突破、それまで1969年に200万人を超えて40年、人口が伸び悩んできた名古屋市が、 この12年で活気のある町として大変身をとげている。娘が名古屋市内に住んでいるが、 周囲をみると若い家族や子供が増え、保育園が充実、子供の医療費がタダで、 住民税が安いので生計面で助かっているという話を聞いたことがある。厳しい財政を訴え、 住民税を引き上げる自治体が多い中であの減税の話は本当だったのかと驚いた記憶がある。 市民への減税のために自分の給与を8百万円に抑え、退職金も一切受け取らないという姿勢は、 政治家の鑑(かがみ)とも言える矜持(きょうじ)、生きざまであり、なかなか真似のできることではない。

一方、名古屋市と対照的な大都市は大阪市である。1965年に316万人の人口ピークを迎え、 その後人口が急減、1975年を過ぎて270万人を切り、それから50年の長きにわたり260万人台で人口が停滞、伸び悩んできた。 ここ数年のタワマン乱立による都心回帰の人口増のお陰で277万人まで人口が回復したが、 昔のような市内の活気は感じられない。大阪維新の市政が本当に良かったのかはこれからの政治手腕にかかってこよう。 今後、自民党が選挙で苦戦すれば、日本維新と与党で共闘を組むことも考えられる。 その自民党と対抗姿勢を明確にしている日本保守党が、名古屋の減税日本と組んで、どのような政界再編が進むのか、俄然(がぜん)、政治の動きが慌(あわ)ただしく、 喧噪(けんそう)めいた状態になってきた。

岸田首相の支持率低下は無意、無能、無策なトップと国民から思われたことが原因

最近の自民党に対する世間の厳しく冷たい風当たりは何なのか、自民党自身が理解できず、戸惑う姿が想起される。 安倍政権のころと比べても、さほど過激な変な政策を講じた訳ではない。 いや、むしろ、昨年12月には、安倍政権でもできなかったGDP2%への防衛費の大幅増額や反撃能力保有などを盛り込んだ防衛3文書を決定、 最近も13日に旧統一教会への解散命令を東京地裁へ請求している。ところが、どういう訳か岸田首相のやること、 なすこと、全てが国民からすこぶる不人気なのである。それは岸田首相の目立たない、大人しい政治采配に起因するのか、あるいは、LGBT法案を通した姑息なやり方に国民の不満が爆発したのか、 その理由は定かでない。ただ、国民からの支持、特に若い層の支持が得られず、支持率が日を追うごとに大きく低下し続けているのである。このままだと自民党が与党から脱落する可能性も強まっている。

実際、岸田政権の支持率の低下傾向は深刻である。毎日25%、時事通信26%、朝日29%と30%を切り、 時事通信の数字では、若い世代(18~30歳)の支持率10%、女性の支持率は23%とさらに低くなっている。 70歳以上の高齢者の支持率は36%と高いが、それでも以前と比べて支持率が低下している。 要は岸田政権が続けば続くほど国民が離れていく状態になっており、一昔前の自民党なら実力のある古参議員が首相に勇退を諌言(かんげん)し、 国民支持が高そうな次の首相へ政権を引き継ぐための総裁選などを画策したであろう。 また、それが永田町の新たな権力闘争の政治ネタとなり、週刊誌面を賑(にぎ)わしたに違いない。 しかし、国民感情を察知し、自民党のために勇退する、そんな格好の良い、感性の高い判断は、 岸田首相には到底望めないと国民からは見透かされている。 選挙での大敗が怖く、このままズルズルと解散風を吹かし続けながら、解散判断すらできず、 来年9月の総裁選での再選を目指すのであろう。

ネット論調の辛辣(しんらつ)なコメントを解析するとどうも岸田首相は、国民の日本の行く末を心配する気持ち、 感情を理解できず、無意、無能、無策の政治家と見られているのではないだろうか。 例えば、今年5月の広島サミットの「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」を読めば、 ロシア、北朝鮮、イランを厳しく非難しても、中国への具体的な非難はなく、 それでも核なき世界を目指す日本の非核三原則は、一昔前なら平和的な主張として評価されたと思う。 しかし、軍事力を急拡大する中国による台湾への武力侵攻が懸念され、 九州南方から台湾北東の南西諸島や尖閣での武力衝突が危惧される中で非核三原則の主張は、 明らかに間違っていると心ある国民は感じ始めているのである。

中国共産党は、過去3年間で200発の核兵器を500発へ増産したと言われている。 極め付きは、中国が台湾へ攻め入る時に日本が加担したら、 日本だけは例外的に核の先制使用をすると共産党の軍事専門家が公言している。 本来なら中国の核の恫喝に対して、それを強くけん制して諫(いさ)めるため、間髪入れず、 非核三原則を見直して日米同盟を強化し米軍による核の持ち込みや核シェアリングの検討を始めるという発言が必要なのである。 中国最大の弱点は、命中精度の低い迎撃ミサイル体制と言われている。 こうした中国の弱点を念頭に置いて、彼らが勇(いさ)み足にならないように牽制する強い外交姿勢が戦争回避につながることを国民は理解しているが、 弱腰姿勢に終始する首相が、この牽制外交の重要性を理解しているとは思えないのである。

岸田首相が令和の慶喜と言われるがその慶喜とはどんな政治リーダーだったのか

日本の歴史を振り返ると岸田首相とよく似た政治リーダーが存在した。 その名は江戸幕府最後の第十五代将軍、徳川慶喜(よしのぶ)である。 在任期間はわずか2年、1867年11月9日に京都の二条城で自ら明治天皇へ政権返上する大政奉還(たいせいほうかん)をおこない、明治新政府が誕生した。 自分たち幕府の重鎮、幕僚も薩長とともに新政府に合流できるという読みがあったが、 1868年1月3日に新政府から王政復古の大号令が発せられ、将軍職を解任されて、 事実上、江戸幕府は消滅した。当然ながら、慶喜は新政府への参画という甘い思いを裏切られ、 それを不服として1月27日から3日間、薩長中心の明治新政府と鳥羽伏見の戦いを展開した。 幕府側は3倍の兵力を保有して勝てる戦いであったが、慶喜自らが江戸城に逃げ帰り敗北、 春には江戸城を無血開城して、自らの手で幕府政治を名実ともに完全に終わらせている。

当然ながら会津藩などの旧幕府軍はこの動きには納得できないので、 1868年1月から翌年5月の函館戦争まで、薩摩、長州を中心とする新政府軍と熾烈な戦いを続けた。 これを戊辰戦争というが、双方1万人弱の戦死者を出している。 慶喜の評価は分かれ、古い体質の徳川家の江戸幕府を早期に終わらせたお陰で、 明治天皇のリーダーシップが発揮され、富国強兵の日本の近代化を進めた功労者と言われている。 逆に武士としての戦いの才覚や交渉術に長けていれば、 大政奉還の前に薩長へ攻め入り兵力を大きくそぎ落した後、 幕府の重鎮たちも新政府へ参画させることができたと言われている。 後者なら小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)など優秀な幕僚も新政府に登用され、 日本の富国強兵は早く進み、大きく発展したという説もある。 徳川慶喜自身は、大正2年の76歳まで長生きして平和な余生を過ごし、 徳川家は血統を保って生き残り、戦前の親族の多くは、貴族院議員として活躍、 特権階級社会の中で品位のある生活をおくっている。

確かなことは、幕末の旧体制派の人たちにとって、無意、無能、無策の慶喜による想定外の江戸幕府の終結は、 悲惨な戊辰戦争を招き、悲劇そのものであったという点である。匠(たくみ)な交渉術も無く、 幕末の政治をうまく切り盛りできず、現体制で生きる人たちを守る交渉力もなく、 政治を途中で投げ出すその無責任な姿に当時の日本人はかなり呆(あき)れたことであろう。 250年続いた平和な江戸時代に家業となった徳川家による血統政治が続いたためにおよそ武士らしくない無能な将軍が次々と後継ぎとなり、 明治維新という激変の時にいかに国家が脆弱(ぜいじゃく)なものになるかという教訓まで残してくれた。 家業政治は国を滅ぼすのである。

日本の政治の家業化が続くと自民党の代わりに参政党や日本保守党が台頭し始める

徳川幕府の政治の家業化が、役立たずの無能な将軍や藩主を次々と輩出し続け、 国力をいかに弱め駄目にしたか、今の政治に通じる大事な教訓となっている。 厳しい表現になるが、保守的な国民目線で今の政治をみると幕末の慶喜政治の教訓は、 岸田政権や自民党の今の政治にも通じる大きな問題なのである。特に保守層の見方は、 中国共産党の利権工作に毒された親中派の三世、四世の議員が多い今の自民党は、 金や女、利権に篭絡(ろうらく)され、知らぬ間に自国を裏切り、 国益を棄損させ、官僚と一緒になって次々と日本を売り渡し、 いつの間にか中国共産党に支配される政治を志向しているのではないかという強い疑念や恐怖心すら感じるのである。

陰謀論と批判されるかも知れないが、ネット報道の影響により安倍首相のころの自民党を熱烈に支持してきた岩盤支持層の中に 昨年7月の安倍首相暗殺の背後に闇の勢力の存在もあったのではないかという疑念すら巻き起こっている。 そして安倍首相亡き後、家業化された自民党の現役議員による日本売りの売国政治、 こればかりは何としても次の選挙で阻止すべきという危機感を深めているのである。 問題は、保守層の危機感と自民党の現役議員の危機意識の違いの大きさであり、 現役議員の中に中国の工作なんて存在しないし、変なネット番組の見過ぎで誤解しており、 そんな影響を受けるほど馬鹿ではないと一笑に付す人もいるかも知れない。 ところがそんな議員に限って交友関係をのぞくと中国の危険な共産党関係の名刺が山のようにあったという話もあり、 要は懐柔(かいじゅう)工作すら自覚できない無能な議員が多すぎるという話もあるそうだ。

LGBT法案の問題は、今度は米国の民主党工作にヘラヘラとなびく売国政治の象徴のような事件であった。 一事が万事で自民党の政治を家業にするお人好しの現役議員の立ち居振る舞いを見ていると厳しい国際政治の世界では到底通用しない無意、無能、無策のお坊ちゃま、 お嬢ちゃん集団が自民党なのである。それはまさに江戸幕府末期の幕臣たちの姿とも重なる。専門家からは自民党自体がすでに終焉を迎えているという厳しい意見もでている。 今後の動向を分析すると保守層の中でもう二度とリベラルな自民党へは投票しないと決めた有権者は、 投票したい野党が無い場合、自民党への投票をボイコットし選挙そのものを棄権する傾向がでている。 逆に参政党や日本保守党といった応援したい保守系の政党が存在する場合、 いずれかの政党一択で投票する傾向が強まるとみている。

前者の場合、投票率は大きく落ち込み、後者の場合、投票率が急上昇するので、 仮に総選挙の時に全国全てに参政党か日本保守党のいずれかの候補者が全ての選挙区を網羅して立候補した場合、 投票率は10%程度上昇して60%前後になると分析している。 つまり、参政党か日本保守党のいずれかで全国をカバーできた時点で投票率が5割から6割へと上昇、 一千万票程度の票数の追加が期待できると予測している。この時点で自民党は小選挙区で次々と落選し続け、 比例区でも票数を稼げない状況が続き、与党から脱落、 参政党や日本保守党の保守系政党へ与党の政権の座を明け渡すことも十分に起こりうるとみている。

衆議院の解散選挙がなくても保守の現役議員は逃げ出し自民党は与党から脱落する

最近の政治の動きをみると岸田首相は令和の慶喜となって、 今や国民からみて江戸幕府のような古い政治体質となった自由民主党が与党から脱落する軌跡をたどるのではないかと予想している。 10月から来年秋にかけて、岸田首相が衆議院を解散しなくても、 それ以降の衆議院の総選挙で大惨敗となって与党から脱落する確率はより一層高まるとみている。 また、名古屋、秋葉原、新橋の日本保守党の熱気に包まれた演説会場の様子を見て直感的に自民党の時代は終わったと感じる現役議員も増えていくであろう。 賢明な保守系の現役議員の中には自民党にはもう明日は来ないと党離脱を決意し、 泥船(どろぶね)と化した党を一刻も早く立ち去ろうという動きも顕著になるとみている。

最近、杉田水脈(みお)議員など有力な自民党内の保守系議員を排斥する動きが見られるが、 逆に見限られているのは自民党の方であり、時間が経つにつれ、 自民党内の有力な保守系の現役議員が日本保守党へ移籍する動きも加速するとみている。 あくまで妄想的な話になるが、ある日突然、日本保守党へ数十人以上の保守系の現役議員が移籍した場合、 その時点で不信任案が通って衆議院選挙になれば、自民党は短期間で与党から脱落する運命にも遭遇するであろう。 つまり、自民党が与党の時代は過ぎ去ったという認識へ頭を切り替える覚悟も必要となっている。 それほど今の自民党には有権者を引き付けるものが何も無くなってきている。

令和の慶喜のような優柔不断な采配を繰り返す岸田首相が、仮に来年9月まで解散総選挙をおこなわなくても、 櫛(くし)の歯が抜けていくように次々と自民党の保守系の有力な現役議員が日本保守党へ鞍替えしていく可能性もあるとみている。 そして、そのような動きが顕著になると自民党以外の野党や無所属の有力な現役の保守系議員も次々と日本保守党へ参画することも考えられる。 なにしろ、今の政党に残っても選挙で勝てる見込みは低く、一か八か超人気の日本保守党へ移ることで議員としての活躍の場を見出す人も増えていくとみている。 岸田首相が令和の慶喜となり、自民党が与党から脱落する日は、 案外、この2、3年以内の出来事になるような予感がしている。

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